拝啓 中川涼子様
桜も満開で、過ごしやすい季節になってきましたね。お元気でお過ごしですか。
ぼくたちも、もう二年生ですね。
昨日は、家族と花見をしました。かなり抵抗しましたが、父も母も、大人になったらいい思い出になるからとか、親不孝者とか騒ぐので、仕方なく出かけました。母が弁当を作って、父は出かける前からビールを飲んで、中学生の妹も一緒で、家族四人で公園です。正直恥ずかしいです。友達に見つからなくて助かりました。
でも、久しぶりに家族で出かけたので、ちょっぴり楽しかったですけど。これはヒミツです。
中川さんは、お花見には行きましたか?
それでは、また。
追伸
暖かくなったからと言って、無理をしないでくださいね。
拝啓 飯田正弘様
昨年の秋にはじめて手紙をいただいてから、半年になりましたね。飯田君はお元気ですか?
実は、私もこの間友達とお花見に行きました。学校の帰りにちょっと寄り道をしたんだけど、夜桜も見たくなってしまって、帰りが遅くなったので怒られました。ちょっと熱も出してしまって、母を心配させてしまいました。反省です。
寝ているのはつまらないけど、飯田君のお手紙のおかげで、明るい気持ちになれました。
飯田君の手紙はいつも楽しくて、私も元気になれます。
いつもありがとう。
私も来年は、家族でお花見に行きたいな。
それでは、また。これからもよろしく。
「おい、マサ」
テレビ画面を見たまま、達哉が言った。無表情で黒いコントローラを操作している。
「顔がにやけてるぞ、気持ち悪い」
達哉とサッカーゲームで対戦してた順が言う。こちらも、テレビゲームの黒いコントローラを無表情に高速で操っていた。
「にやけてない」
ベッドの上に寝転んでいた俺は、にやけていた自覚はあったが、とりあえず否定しておいた。
手紙の、「これからもよろしく」を何度も何度も読み返していたところだったからだ。
「また手紙か」
達哉は大げさにため息をついてみせる。
「お前は、いつの時代の文学青年だ。本なんか読まないくせに」
順が続いて俺を攻撃してきたので、俺は起き上がり、胸を張って言い返した。
「中川さんに借りて読んでる。薄めの文庫本なら読めるようになった」
「いやだから、その行動が、一体いつの時代なんだって言ってるんだよ。靴箱に手紙のやりとりしてさ。本だって靴箱経由だろ」
「お前、自分の臭い足の臭いが移るからいいですって言わなかったのかよ。図々しいな」
順の言葉はいちいち的確。達哉のツッコミは容赦ない。そして俺はいつの間にかボケ担当。
いや、こいつらは俺がうらやましいだけなんだ。いや、というよりは。
「お前らのアドバイスに従ったらこうなったんだろ!」
半年前、同じように俺の部屋でこのメンツ三人で集まって、会議を開いた。というか、開かされた。
格闘ゲーム十連戦、負けたやつが好きな人を教える、という賭けゲームを開催し、そして当然のように俺が負けた。そして達哉が「さらに十連戦」と言い出し、今度は「負けたやつが好きな人に告白する」になり、また俺は負けたのだった。どんだけ要領悪いというか、本番に弱いんだ。普段なら勝てるのに。
「メールか?」
達哉がとりあえず提案する。
「軟弱男と思われる」
順が却下する。
「ってことは直接!? 無理!」
俺は半年前から腰が引けている。
「電話?」
「無難だけどな。どっちにしても、番号もアドレスも知らないだろ」
「……てことは直接!? 無理!」
「手紙?」
「このご時勢に?」
達哉と順は、示し合わせたように俺を見た。そして今度は俺をそっちのけで顔を見合わせる。
「まあインパクトはある」
「笑われるか、感動してくれるかどっちかだな」
「ただ、十年後に出てきたらきっと恥ずかしいぜ」
「爺くさいことを言うな。若者は振り返るな。前進あるのみ。突撃あるのみ」
「清水の舞台から飛び降りるようなものだな」
「だから爺くさいって」
「まあ、なんだっていい。変に夢を見るな。見事に散ってみせろ!」
達哉が俺を指差した。順がうなづいた。
いや、待て、そんなお前ら他人事だからって!
「散りたくない!」
――叫んでみたが、罰ゲームは絶対だった。
無視したらどんな恐ろしい目にあうか。
それから、俺は手紙の書き方をインターネットで調べ、時候の挨拶からはじまる手紙を書いた。正直、彼女とは話したことがなかったので、いきなりの告白はやめておいたほうがいいのではないかと思い、無難な内容のものを書いた気がする。そしてめちゃくちゃ緊張しながら、彼女の靴箱にそっと入れておいた。
そして、驚いたことに、次の日彼女から返事が来ていたのだった。
達哉がコントローラーを操り、華麗にシュートを決めて、言った。
「それで、なんで文通をしてるんだ」
順が舌打ちをしてから、八つ当たり気味に俺を睨んだ。
「分かってるんだろうな、マサ」
「なんだよ」
明らかな八つ当たりにちょっと怖気づきながら、俺は手紙を大事に抱える。
「お前、まだ罰ゲーム終わってないぞ」
そう、確かに。
――まだ、告白はしていない。
「好きです」
この言葉を口にするのに、どれだけ力がいるものだろう。
同じ学校、隣のクラス。他の子みたいに染めていないストレートの黒髪がきれいだ。スッとたったときの姿勢がキレイで、控えめで、だけど良く笑う。
最初はそれくらいしか知らなかった。イメージで好きだった。
だけど、今はもっと色々知っている。
彼女は体が弱い。元気そうに見えて、実はよく夜に熱を出して寝ているらしい。本を読むのが好きで、感動屋で、でもアクション映画が好き。コンタクトにしないの、といわれながらも、面倒だからとメガネをかけている。意外と面倒くさがりなところが、余計にかわいい。
好きな人がいる。
それだけで、なんだかウキウキする。だけど、つまらないことで落ち込む。声を聞けるとテンションが上がる。姿も見れないとつまらない。そんな感情だけで一日が過ぎる。
勉強が手につかないで成績が落ちる。どうでもいいやと思うけど、彼女は頭がいいから、バカは嫌いかもと思うと、今度はものすごい勢いで机にかじりついてみる。
だけど、致命的なことがある。
俺はまだ、彼女と直接話しをしたことがないのだ。
春先、桜が満開の公園では、夜になるとまだ肌寒い。宴会の声が遠くで聞こえる。
ちらほらと舞う花の中で彼女は、目を丸くして俺を見た。
俺は、ちょっと震えながら彼女に笑いかける。正直、口の端が引きつってるけど。
最初に手紙を書いたあの時と、今と、どちらが緊張しただろう。どちらの方が、震えていなかっただろう。
――さすがに、プロポーズは手紙はやめろ。
――頼りがいがないと思われるからな。
相変わらずの腐れ縁の達哉と順に、居酒屋で忠告された。ヤツラは誤解している。俺は別に手紙が大好きなわけでも、会話が出来ないわけでもない。お前らが悪いんだ。確かに涼子さんとの手紙のやり取りは好きだけども!
それでも一応、メッセージカードみたいなものは書いた。
指輪のサイズも間違えてない。あまり高いものじゃないけど、俺に出せる精一杯の値段だ。
「好きだよ」
この一言の難しさ。
だけど、もう知っている。
好き、という感情だけで、満ち足りた気持ちになること。
愛している、という言葉だけで、何もかもの憂いを忘れられること。
そして貪欲にもなること。求めすぎてしまうこと、傷つけてしまうこと。与えてほしいと思いすぎてしまうこと、だけどもっと強く、与えたいと思うこと。守りたいと思うこと。そばにいたいと思うこと。
これからも、ずっと。
彼女は、自分の左手の薬指の小さな光を見てから、もう一度俺を見た。
家族で花見をした翌年、俺は彼女と二人で花見をした。高校生に見合わないデートだ。そしてそれから毎年、彼女とこの公園を歩く。
「ねえ、知ってる?」
真っ赤になって、しどろもどろになって、プロポーズの言葉を口にしかねている俺に、彼女は笑う。
「まだ大事に持ってるよ」
彼女が、バッグから取り出したのは、元は白かったと思われる封筒。色が少しくたびれてしまっているところに、年月を感じる。
震えた汚い字で「中川涼子様へ」と書いてあった。
「なんだかね、懐かしくなって読んでたの。最後の手紙、持って来ちゃった」
予感があったのかな、と彼女は言った。
すごいな以心伝心だな、と思ってから、カッと顔が火を吹いた。体中から汗が吹き出した。
その手紙だけ俺は何故か、「中川涼子様へ」と書いた。いつもは、「へ」を書かないのに。きっと他と区別したかったんだろう。だけど、気が小さい上に気が利かないものだから、そんな暗号みたいなことしか出来なかった。
――――十年前の。
一年にわたる文通の末、ようやく書けた一言。その手紙。
終わり