学生かサラリーマンか主婦かとか――さらに詳しく言えば、園児とか小学生とか中学生とか高校生とか、はたまた営業社員とか事務員とか銀行員とか、専業主婦だとか兼業主婦だとか、それとも、子供だとか親だとかそういう身分で区切るのなら、俺は確かにただの自営業もどきのフリーターでしかなく、しかも主夫でお父さんのようなものであった。……俺がんばってるなあ。 そんな俺を尻目に、家でごろごろしているだけの蓮が最近インターネットを始めた。電話回線だと遅いとかなんとか文句を言うもんだから、ケーブルでやっている。工事費がかかって色々たいへんだったけど、まあ電話代を食い尽くされるよりはましな投資だろうな。そういうわけで、ぐうたら主婦のような生活をしていた蓮ちゃんが、最近ますます外に出なくなった。どうせ飽きるまでだろうけど。 そんなことを思っていたら、今度はホームページを作ったらしい。「放っておいたら奏なんて何日も仕事しないでぶらぶらしてるだろ」とうちの仕事を宣伝してくれたそうだが。いや、ぶらぶらしてるのはむしろ蓮のほうだけどな。 「でも蓮、それは結構無駄だと思うけどなあ。そういうのってまじめに悩んでる人間が申し込んでくると思う?」 俺たちの仕事は怪奇現象の調査、つまり一口で言ってしまえば妖怪退治。そんなもの「怪奇現象にお悩みのアナタ、相談に乗ります」とか「最近恐ろしい影や、この世のものではないような化け物を目撃しませんでしたか? あなたのかわりに退治します」なんてことを書いていた日には、ミーハーな子とか思い込みの激しい子が申し込んでくるんじゃないのか? 「はー、相変わらずバッカだなあ。そんなにあからさまに書くわけないだろ。特異な状況での行方不明者を探しますとか、普通の興信所みたいな感じで書いてるに決まってるじゃんか」 ああ、なんだそうだったのか。 でもそれでもさ、やっぱこういう稀有な仕事というのは、まあ最初は苦労するけど、それなりに数をこなして名前が売れてくれば、どこどこからの紹介で――という風に、お客の方から来てくれるもの。だいたい俺たちは開業してからが長いから、名前は売れてる方だろう。そういう風に紹介で来る客の依頼は、ほとんど「思い込み」の怪奇現象ではないけど。こういうような公の場で募集をして集まるものってのは、ほとんどその逆だろう。 「うっさいなあ。どっかの馬鹿がつくほどお人よしな甲斐性なしのおかげで僕らがいつまでたっても裕福になれないから、喝入れてやろうっていうこの優しい心遣いが分からないわけ?」 蓮ちゃん、それは優しいのか? 脱力してしまいそうな俺だったが、確かに俺たちが裕福であるとは言えないしねえ。貧乏じゃあないんだけどさ。でもね、どこかのわがままさんが、オートロック付でエレベーター付でリビングが広くて見晴らしが良くてフローリングの綺麗なLDKのマンションでないと嫌だなんておっしゃるから、っていうのもあるんだけどさ。家具ひとつにしたって、デザインの気に入ったものがどれだけ高くても買おうとするし、食べ物にもうるさいし。そら、そう育てたのは俺だけどさ。 まあしかし蓮ちゃんが言うのもあながち間違いじゃない。ひとつ仕事をするごとに、俺があんまりお金を請求しないから、っていうのもあるんだよなあ。だって困ってるのにつけこんで金をせびろうなんて、ちょっと心苦しいよな? そりゃあ、こっちは仕事と言えさ。 確かにこの職業、莫大な金を請求しようと思ったらできる。実際してる奴らもいる。この職業をしている俺たちに、メンバーとして登録さえしていれば仕事を斡旋してくれる組織というのもあって『協会』と呼ばれるのがその代表と言うか――国に絶大な権力を認められまでした組織だから、ほとんど「唯一」なんだけど、そこの他にも組織というのもあるにはあって。しかしそういうところは『協会』に泣きつくことができないような、後ろ暗い事情の人間が話を持っていくところだと決まっている。だから、求められる褒賞も目玉が飛び出るようなもので、まあ、そういうとこに話を持っていくような人間はほとんど自業自得なことをやらかした結果、というものでもあるけど。でも俺はそういうことはしたくない。――まあ、こういうものって、時と場合によって破損してしまった公共物への弁償代にも使うから、多少高いのは否めないけどな。 だいたい俺たちだって協会に属してはいないけど、協会とは持ちつ持たれつの関係にあるだけで、別にやましい組織じゃないし。 そんな話はさておき、ホームページを作ったとは言うものの、依頼が来たとかいう話にならないから。実のところはどうなんだろうかねえ。蓮ちゃんあんなこといいながら、実は、というか分かってるんだけど仕事とか全然興味ないしさ。……だいたい、何が主体のページを作ったのかもなぞだ。 そんなこんなで数日たった頃、いきなり蓮が指令を出してきた。 「今日の夜7時に、この公園の滑り台の下で待ち合わせだから」 「……はい?」 いきなりプリントアウトした地図を突き出して、主語も何もなしにおっしゃった。誰とどうして、なんてあたりがまったくぬけている。頼むから、日本語を話そうよ。いつ、どこで、だけじゃあ、さっぱりわかりませんよ。 「なに間抜け面してんの。しまりのない顔が余計だらしないからやめてよね」 「いや、なんで待ち合わせなど?」 「はあ? 依頼が来たからにきまってるだろ!」 蓮ちゃんは、だまっていさえすればたいへん上品なお顔の、その眉をひそめてたいへん不機嫌におっしゃった。どうして蓮ちゃんが、あの仕事嫌いの、というか働くの動くの面倒なのだ一嫌いの蓮ちゃんが、依頼など? 「――年相応にぼけたわけ? ホームページの方にようやくまともそうな依頼が来たんだよっ! 僕に心から感謝して仕事してきてちょーだい」 ……そんなことすっかり忘れてた。 しかしこの口調だと、一緒に行こうって気はまったくないな?……めずらしい。 いつもならぐちぐち言いながら必ずついてくるんだけど。 あんまり口を挟んで文句を言われるのがいやなので、俺はとりあえず言うことを聞いて、その公園へ行ってみることにした。だってしかたねえだろ?怖いし 夏は終わり、秋の口もだいぶすぎ、夜風は世間の風のように冷たかった。いや、主に冷たいのはどこかの誰かさんだけどさ。そんなこといってたらまた「真冬にもティーシャツ一枚で生息してるくせに、白々しいこと言うな!」て怒られるんだけどなー。まあ、その通りなんだけどさ。 そんな最中でかけることになった問題の公園は、俺たちが住んでるマンションから自転車で三十分のところにあった。貧乏性なので、バスは使わない。自転車のほうが健康にもいいし。公園の前で自転車を降り、押して歩きながら公園の中に入る。住宅街の中にある公園は、昼間なら子供たちがサッカーをやったり野球をやったりしているだろうと思われる程度の広さはあるような、そこそこ大きなところだった。しかし住宅街の真ん中にあるだけあって、夜の恋人たちはあまり見受けられない。 待ち合わせ場所になっている滑り台は、ほかの遊具よりも背が高く、二段の高さになっていた。渦巻状になっている上から滑って降りてくると、登り棒とか網とかがついたちょっとしたアスレチックになっているところにたどりつく。そこからもう一段、下へ滑り落ちる普通の滑り台がついている按配だ。 やれやれ、依頼人の外見を聞いてなかったなあと思いながら滑り台へ近づくと、人がひとりぽつんと立っている。紺のブレザーにチェックのズボン。同じ柄でもっと色の深いネクタイをした少年だった。多分、学校の制服だろう。 あれかな。……あれだよなあ。ベンチやらならば、この時間でも関係のない人が座ってるんだろうけど、昼の短いこの時期のこんな時間に、好き好んで滑り台をすべろうなんて人はあんまりいないだろうし。聞いてきた年齢とだいたい合うことだし。 とりあえず俺は声をかけてみることにした。 「よおー、君ヒマ?」 少年の方も当然俺のことには気がついていて、一体何者だろうという顔で疑惑と驚きの眼差しを向けてきていたんだが、声をかけた途端少年はびっくりした顔をした。 ――ん? 今の声のかけ方はまずかったか? なるべく相手の緊張をほぐそうと、明るく軽快に、親しみや好くを心がけて満面の笑みとともに、だったんだけど。 そうか、「ヒマ?」はまずかったか。ナンパみたいだしな。まあ、本人ならすぐ分かることを聞いてみれば問題はないだろう。 「えと、ハンドルネーム、「たいら」くん?」 俺が言うと少年は、さらにびっくりした顔をした。これは「何言ってんのこいつ」という顔ではなくて「なんで知ってるんだ」って感じだな。もしかして……もしかしてだけどさ。 「蓮ちゃん……じゃないや、白蓮ちゃんが来ると思ってた?」 白蓮とは、蓮ちゃんのハンドルネームならしい。そのまんまだけどなー。 少年はきっと蓮ちゃんの外見とかは聞き知っていて――ホームページのほうに書いてあるのかもしれないが、俺は良く知らないし、少年と蓮の間でどういうやり取りがなされたのかもさっぱり分からないから、憶測だけど、少年はきっと聞いていた蓮と実際に来た人間のギャップに驚いたことだろう。「え!?聞いてたのと外見が違う!」と思ったのか「なんだ、本人が来ると思ってたのに」と思ったのかはなぞだが。 とにかく少年は素直にうなづいた。ああ、そりゃ悪かったなあ。さぞかしびっくりしただろう……って、蓮ちゃん、この少年にもちゃんと説明してなかったのか? 困った奴だなあと思っていると、対処に困った顔をして、視線を遠くの木立の辺りにさまよわせていた少年は急にはっとした様子で、がばっと目線を俺のほうに戻した。 「あ、白蓮さんのお兄さんのSさん!?」 ――いや、なんですかそれは。 思わず開いた手の甲で、動きだけつっこみのしぐさをしてしまった俺であるが。 「ホームページによく書いてあるんです。ちょっと間の抜けた顔でうだつの上がらないお兄さんがいるって。写真も載ってて」 れ、蓮の奴ー! 「情けない人だとか、頼りないとか日記とかによく書いてあるけど、しょっちゅうお兄さんのこと書いてあるから、白蓮さんの兄さんのことすごく好きなんだろうなーって、結構嫉妬してる奴もいるくらいで」 「なんじゃそら」 蓮ちゃん……一体何のホームページ作ったんだ!? なんかよくパソコンの前で、一人で爆笑してたけど……。写真公開はいいよ、勝手にして。俺の載せるのだって馬鹿にするのだって……まあいいさ。でももしかして、もしかして、性別「女」で通してるんじゃないだろうなー! しかもしかも絶対、性格めちゃくちゃごまかしてるだろうー! なんだか具体的なことはよく分からないけど、だいたいは予想がつくぞ……。昔から似たようなことやって人をだまして遊んでたしなあ……。 「蓮ちゃんに会えるかも、ってんで、どーでもいいこじ付けみたいな依頼が山ほど来たんだろうなあ」 その中で少年の送ってきたのが蓮ちゃんの目に留まったわけだ。返信が来た時、きっと少年は「ああ、俺が選ばれたんだ!」と優越感に浸ったのだろが。 「とりあえず、まあ、今回は蓮は来ないぞ。依頼があるんだったらさっさと言ってくれ。やっとまともそうなのが来たって言ってたから、ちゃんとした話なんだろう?」 俺たちの請け負う類の仕事が世間的に見て「ちゃんとした」ものかどうかはさておき、だ。 「まあともかく、名前を聞いてもいいかな。ちなみに俺は鬼頭奏。あ、別にハンドルネームで呼んでも構わないってんならいいけど」 「別にハンドルネームでもいいけど……。笹田幸平」 蓮が来ない、と言うと、あてがはずれて少しむかついたのか残念だったのか、ただのやつあたりなのか、少年はぶっきらぼうに答えた。 やれやれ、思春期は難しいねえ。きっと蓮本人が来てたほうが君のダメージは大きかったと思うが。若いっていいなあ。 「それで、何がどうしたって?」 促すと、少年はすぐに暗い顔になってしまった。暗いというか…ぎくりとした、という顔だった。言われてしまった、とか、ばれてしまった、という感じの。それを口にするのがとてもはばかられるのだろうということが分かった。つまり、それほどのことが起きているのだろう。――たとえ他人にはどうであれ、この少年にとってはよほどのことが。演技には見えないし。 「……声が聞こえるんです」 大分躊躇した後で、少年はぼそりといった。 それはそこかしこから聞こえるという。家にいても、学校にいても、友達と遊んでいても、どこからともなく聞こえてくるのだそうだ。最初は気のせいかとおもえるくらい小さな物音でしかなかったが、やがて囁きになり、はっきりと聞き取れる言葉になった。 「ほほう」 俺は顎に手を当てて相槌をうった。相槌というよりは、感嘆の声というか、感心してるみたいな声になっちゃったけどな。なるほど、怪談話とかではよく聞くシュチュエーションだ。 「信じてないだろ! どうせ!」 おかげで、少年に睨まれる羽目になった。……あれ、あれあれ。 「いや、そんなことはないぞ」 「なんだよ、信じてないくせに」 少年は今まで人に話して信じてもらえなかったのだろうな。さらに不機嫌になって言っている。 「だって蓮がこの依頼選んで、俺に行って来いって命が下ったわけだから、この依頼がまともな依頼だと判断する材料がどっかにあったわけだろ。結構変な依頼が来てたみたいだし。まあ蓮はあんなだけど、一応この道長いしな」 そういうと、少年は少しおとなしくなった。 俺の言うことに感心したのか、ただ単に蓮の名前を出したからなのかどうか知らないが。後者だったら、少年かなりやばいねえ。やばいよ。だめだよ、それはー。 「それはともかく、声は何を言ってるんだ? よくある「助けてー」とか「殺してやるー」とか?」 「……やっぱなんか馬鹿にしてるだろ」 少年は今度は疑わしげな目で俺を見る。なんて失敬な! 「してないってしてないしてない」 「……そうやって否定するところが……まいいや」 ぶつぶつとすねるように言って、少年は気を取り直したように話し出した。さっきから腹が立ったからなのかどうか、敬語をやめている。まあ、俺はそのほうが気楽でいいけど。 「それが、普通に助けてとか、そういうものなら、よかったんだけど」 きっと実際そういう目にあった人からすれば、「どこがいいんだ!」憤怒されるところだが、少年は少年で気の落ち着かない事情があるようだった。 「なんか変なんだよな」 「声が?」 「いや、声は普通の女の声なんだけど。言ってることがに決まってるだろ」 そうだろうけどさ。いや、なんとなく。 少年はため息をつくと、重々しげに首を振った。滑り台の下でそんなことをしてもまったく格好はつかないけどなあ。 「たとえば、今みたいな場面で、あんたがしょうもないことを言うだろ。そしたら、俺が「なに言ってるんだこいつ」と思ってたら、声が「阿呆だのう。こやつもう少し気のきいたことは言えぬのかえ」とかいってつっこむんだ」 どこからともなく聞こえる声が、のんきに、まるで会話に参加しているかのようにつっこみを入れてくるらしい。それも、そこにいる人にみんなに聞こえるものならまだしも、聞こえているのが自分だけだからどうにも落ち着かないと。 「慣れてくると、そのつっこみに笑う余裕とかでてきて、一人で笑っててみんなに変な顔されるんだよな。どう考えたって俺がなんか変なもんに憑かれてるか、頭がいかれたかのどっちかなんだけどさ。今のとこ害はないけど、そのうちどうなるか分からないし」 「楽しそうじゃないか」 「他人事だからだろ! 気味悪いし」 やっぱ馬鹿にしてるか信じてないかだろ、という目で少年はにらんでくる。いや、そんなことないってば。 なるほど、蓮がこの事件を選んだのは「いかにも」らしくないとこと「おもしろそう」だからだな、絶対。 「それで、その口ぶりだと、今はその声聞こえてないのか?」 「俺、高校入学の時に引っ越したんだけど、前はこの辺に住んでたんだ。このあいだ中学の時の友達と遊びにここに来たら、声が聞こえないことに気がついて。そういえば、結構遠出したりすると、聞こえないな」 「……なんか場所に縛られてるんだろうな。とり憑かれるような心当たりなんて聞いても仕方ないよな?」 「さっぱり何がなんだか分からないんだよ」 途方に暮れた様子で少年はうなだれる。んーしかし、残念だ。おもしろそうなのに、他の人にはその声聞こえないのかー。俺は聞こえるかなあ。一応普通の人とは違うし。つっこみと会話してみたいなあ。 「とりあえず、声が聞こえるあたりまで行ってみよう。そしたら案外あっさり何か見えたりするかもしれないし」 「……なんだよ、何か見えたりって」 思いっきりいやそうに顔をしかめて、少年は俺を見上げる。 「俺、これでもこの道、五百年なの。この世のものでないようなものとか、簡単に見れちまうぞ〜」 「訳わかんねえよ」 意味の分からない冗談、ととったのか、冗談のようなことで最近妙な目にあっている少年は、ちょっと愛想が悪かった。何で白蓮さんはこんなやつのこと……とブツブツつぶやきながら、少年は俺を置いてさっさと歩き出した。俺は、やれやれと首をすくめたりしてみるが、小走りに少年に追いつく。少年は公園の入り口に止めていた自転車の鍵を開けると、それを押して、俺を従えて歩き出した。 「ところで少年、こんな時間に外うろついで大丈夫なのか?」 「部活帰りだから平気だよ。塾があればもっと遅く帰る事もあるし」 「それはそれは、お母さんとか寂しいだろうなあ」 「……はあ?」 「だってさあ、子供と一緒に生活できる時間なんて、だいたい二十年かそこらだろ。もっと早ければ高校でてすぐ家出てっちゃう子供もいるし、そういう子は大抵大学出ても家に帰ってこないだろうし。なのに、そんな短い間だって、一日にちょっとしか家にいないんだぞ」 俺の言葉に、少年は奇妙なものでも見る顔をして俺を見た。 「俺だって別に塾とか行きたくないけど、親が行かせるんだろー。つうか、そんな親も子供も最近いねえよ」 「勉強できるのは、感謝すべきことだぞ。俺なんて昔はろくに字も読めなかったし――というのはさておき、勉強は若いうちにみっちりして、頭の回転が速くなるようにしとかなきゃいかん。それに最近の子は言うことがせちがらいねえ」 「……同い年くらいのくせに、なに言ってんだよ」 あー、これはいかん。ついつい説教くさくなってしまった。いつも蓮ちゃんを相手にしているからなのか、年のせいなのか、やれやれ。蓮がいたら盛大に怒られてるなあ。 「いやあ、すまんね。年寄りくさいって良く言われるんだよ」 俺がのほほんと笑うと、少年はさっきまでのうさんくさそうな顔や、不機嫌そうな顔を和らげて、変なやつ、というように笑った。 どうやら少年が待ち合わせに利用した公園は、例の「声」が聞こえない、ぎりぎりの範囲のようだった。連れ立って歩き出してしばらくも行かないうちに、囁くでもなくつぶやくでもなく、あからさまに遠慮のない声がした。 「おやおや、今日は男連れか。色気のないことだなえ」 まだ幼い少女のあどけなさを残した女性の声だった。声に似合わない、揶揄するような言葉だ。 「かような時間まで外をうろついておるようだから、デートとやらかと思えば」 ついでに言えば、声に似合わないませたお言葉ですなあ。 少年は、その言葉に言い返したくてたまらないらしく、頬をひくひくさせて歩いている。ちら、と俺の様子を見ても、俺がまったく反応を返さないものだから――というか、何がおきているか分かってないようなのんきな声で「どうしたあ?」とか言ってしまったものだからあの声が、聞こえていないと思ったのか、とうとうイライラしてきたようだった。どんどん歩く速度が上がりつつある。 ……やれやれ、それじゃあ、無視してるってことになっていませんがな。 感情がすぐに顔に出る少年にあきれてみたりしながら、声の聞こえるあたりに顔を向ける。見てみると、特に探すまでもなくひっそりと人が立っているのが分かった。まあ、なかなかいいお時間だし、人通りの多い場所でもないし、あれが声の主とみてもいいだろう。 ううーん、随分あっさりと見えてしまった。 別に透けているわけでもなく、影がないわけでもなく――わざわざ街灯のところにいるものだから、くっきりはっきり照らし出されていて笑えるが――人として存在するに、おかしなところはとりあえず見当たらなかった。 言うならば、それが年端の行かない少女であることと、着物を着込んでいることだろうか。 やたらあっさり見えてしまったが、少年が「声の主は見えない」と言っていたことにたぶん間違いはないだろう。さすがにあの格好をしている人が身近にうろつきまわってたら怪しいと思うからな。 「おうい、あそこに何かいるけど」 あえて無視をしようかと思ったが、ううーん、しかし一体あれが何者か分からないから言ってしまった。何者か分からないから無視しといたほうが良かったかなあ。 俺の言葉に少年はビクッとして肩をふるわせる。俺が「ほれ」と指差す方向をぎこちない動きで、緊張いっぱいの顔で見るが、すぐに拍子抜けした顔になる。それから、俺の方を見て恨みがましい顔になった。おやあ? やっぱり見えないのか――と思ったら、そこから女の子のほうが消えていた。あ、しまった逃げられた。 「お前、いい加減にしろよー。変な冗談ばっか言ってると、殴るぞ」 おいおい、少年、いきなり暴力はいけませんぞ。 そうは言っても、この一件がかなり気持ちに負担がかかっていることであるのは事実のようだった。慣れてくると、というようなことを言っていたから、多分、声が聞こえるのが恐くて、怯えて気持ちが萎縮してストレスになって――ということになったりしているわけではなさそうだが。思った事がすぐ顔に出るタイプのようだから、声が聞こえるたびに過剰反応して、それで友達にバカにされてうんざり来ている――という感じだろうか。 「いやあ、すまんすまん、なんか変わった格好の人がいたからさー。もう行っちゃったみたいだな」 着物を変わった格好と言うのも、日本の文化に対して失礼な話だが。いや、俺別に着物を変わった格好だなんて思ってないぞ。ただ、七五三でもないのに、女の子が着物着てたら変だなって思うだろ? ――まあ、あれが声の主って証拠は何もないしなー。 とりあえず少年には笑ってごまかして、先へ進んで行くことにした。 しばらく歩いた後で俺は、このまま歩いていたらかなり時間を食うのでは、ということにようやく気がついた。しまった。自転車置いてきちまった。うーん、しかし自転車とかでさーっと通り過ぎてしまうと、何か変なものがあっても気がつかないかもしれないしなあ。 でもそれも杞憂だったことに、少しまた歩いてから気がつく。 「なんか、声聞こえなくなった」 少年が、不審そうにつぶやいたので、俺は考えるのをやめ――いや、もともとあんまり大したこと考えてはなかったけど、少年の方へ顔を向けた。彼は、まるで俺のことも不信だ、と言わんばかりの顔をしていた。まあひどい。 「それであんた、結局あの声聞こえたのか?」 「んーまあねえ」 のんびり伸ばしたような俺の返事に、少年はますます胡散臭そうな顔で俺を見る。ああー、若いうちから、そんな何もかもうたがってかかっちゃいかん! 俺がのんきに反論しようとしたとき―― そこに、また聞こえたのだ。声が。 「なるほど……おぬし、拝み屋か」 また唐突に声がして、少年が「うわっ」と大きな声を上げた。過敏反応しすぎですぞ。 しかしどうやら相手は見慣れない俺が不審だから、じっとなりを潜めてうかがっていたらしい。 声の主を探して再びきょろきょろしていると、ふいに気配が湧いた。俺が真正面にふってわいたようなものを感じるのと、少年が再び「うわっ」と声を上げるのは、ほぼ同時だった。 |
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