水ニ眠ル。







 たゆたう水が身にまとわりついている。やわらかくそこに溜まっている。もはや温度も分からぬほどぬるく、人肌のような温度で体を取り囲む。そこから腐敗していくような、怠惰な感覚とともに。

 反して水はあまりにも澄んでいて透明で、表面に鮮やかな画を映し出す。周りを覆う、華やかなまでに美しく生い茂る緑の色。暗く沈むあたりの空気。そして、その水面を上から眺める者の姿、そこにある赤い染み――ではなく。

 水に体を浸して、透き通る鏡の上に眼差しを落とす者の瞳には、己の姿など映ってはいなかった。そこにあるはずのないもの。映るはずのないものを映している。

 まるで水面という薄い膜を隔てて、そこに別世界が広がっているかのように、小さな顔が見える。眼差しを落とす少年の瞳を魅入られたように見つめる、大きな黒い瞳が膜の向こうから見ている。少女の顔がある。

 水鏡の向こうで、少女が身じろぎをする。手を伸ばして、水面(みなも)に触れる。たゆたうものが重く波打つこともなく、泡立つこともなく、表をついて白い指が水面から現れる。重く淀む空気の中に、まるで光を放つかのように白い腕が、植物が土を破って姿を現す時のように、水をついて出てくる。

 そして微笑をたたえた顔(かんばせ)。赤い唇がそこだけなまめかしい印象を与える、白い着物を一枚だけまとった少女が姿を見せる。
 ぬれてなどいない細い指を少年の頬にそえて、少女は笑みを深めた。



 願い続ければ、思い続ければ、願いはかなうと言う。



 少女はいとおしむように、少年の頬をなでる。水面から現れた少女に、目を見開くこともせず、声を上げることもせず、当然の出来事のように受け止めている少年の頬を。――まるで、夢をみているかのような、情景をその表面に映し出しているだけのよう表情を、やさしくなで続けている。

 そしてそこにある、傷を。滴り落ちる血のしずくを。そこ此処にある傷を、痣を、指で触れて、まるで癒そうとするかのように唇でやさしく口付ける。

 全部、分かっているから。大丈夫、大丈夫、と慰めるように。何も心配しなくていいから。わたしが、ちゃんとしてあげるから、と。

 やさしく包み込んで。



 それが血を吐くようなものであるほど、命を懸けるようなものであるほど、願いはかなうと言う。



 いなくなれ、と願った。

 どこからも消えてしまえ、と唱え続けた。心で、つぶやきで。

 自分を傷つけ続ける手。殴り続ける拳。物のように蹴りつける足。誰よりも近しいものの、無情に。

 いなくなれ、いなくなれ、いなくなれ。

 心が壊れるほどに、そればかりを願い続けた。

 ――そうして、耐え続けた。

 自分の命が永らえることより、先への希よりも、その願いは優先されるものになった。世界から相手を消すことを願い、そのために自分から、消えようとしていた。

 そしてあとに残ったのは、血の溜まり。恐ろしくもう美しいものを呼び寄せるほどの、願いの形。  



 本来なら、「それにともなうほど、その思いの深さに伴うほどの努力をするから」願いはかなうのだろうが。でも。――その努力を、文字通りに、そのものの人生と引き換えにかなえることのできるものも、いる。



 少女の身が、現れたときと同じように、沈み始める。水面に、けれど水鏡の向こう、水底とは違う、どこかへ。

 先刻まで確かに浸っていた少年の体を抱きしめたまま。彼が身動きすれば確かに泡立った、波たった水面が、もう動じない。もうそこにいる人が自分とはかけ離れたものだと、そこにあるあらゆる物が、認めたように。切り離してしまったかのように。

 彼らが水の中に沈んでも、動くことのできないものたちをあざ笑うように、波音ひとつ、さざなみひとつ、起きなかった。

 残されたのはただ現実。取り残された鮮やかに生い茂り巡る緑。そこに、なにかがいたことなど忘れたように静かな、ぬるく包み込むような人肌の温度をたたえた水の溜まりと。



 行方不明になった少年と。

 あとに残ったのは血の溜まり。そして人を喰らう、痛みと願いへの恐れと話。





家頁。



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