小説トップへ戻る。



エゴイスト


 
      







「もし、そこな若人」
 塀の上から声がした。
「探し人なのじゃが、ちょいと尋ねても良いかな」
 しゃべっているのは、猫でした。



「いや」
 即答。
 ――さてと、今日は速く帰って昼寝だ昼寝。
 まったく夜に仕事ってのはたまんねえな。
「なんと冷たい。なんと冷たい。ほんに人の世とは冷えきってしもうたのう。ああ寂しいのう」
 ああそうだ。今日の晩の時代劇ビデオに撮っとかなきゃ。うちの婆さん、確か老人会のカラオケ大会か何かでいないから撮っとけって言われてたんだ。
「昔の方が良かったとばかりも言えんがのう。もう少し人情味があったものじゃよ。しかしあの可愛らしい娘は、このような世にあってまことに貴重な心根の……」
 本当にもう、あたしだって今日も夜は仕事でいないのに。ビデオくらい扱えるようになってくんなきゃ困るよまったく。
「こりゃ、お主! 人の話はきちんと聞かんか」
「お前が人かよ」
 あーうるさい。耳元で怒鳴るな。
「……お主、驚かんのか」
「今更何言ってんだよ」
 最初の反応で気づけよこのバカ猫。普通の人間だったら、すっ飛んで逃げてる。
「なんと……。こんな乱暴な言葉遣いをしおって。お主おなごはもっとしとやかにせんか」
「説教たれんな」
 せっかく反応してやってんのに、また独りでなんか言ってるし。
「ああ、ああ、なんと今生の若人とは、年寄りへのいたわりの心もなくしてしもうたのか。行く先が不安じゃのう。世も末じゃのう」
「殺すぞ」
「これ、簡単にそのようなこと言うてはならぬぞ。まったく近頃の者は簡単にそのような末恐ろしいことを口にする。よいか、言葉には力があるのじゃ。言霊(ことだま)というての、力を込めて口にされた言葉は、一人歩きするのじゃぞ」
 あたしはついに足を止めた。
「おいクソ猫」
 皆様、暴言お許し願いたい。
 なんたってあたしは、短気なものでねえ。
 突然足を止めたあたしに、塀の上の黒猫は首を傾げた。その猫に対し、あたしは無表情のまま掌を向ける。
「砕けて消えよ」



 一人の少女が、暗い夜道を歩いていた。街灯はそんなに多くはないし、人の通りもたいしてない。
 そこには少女の足音だけが響いてる……はずなのだが、少し後ろに別の人間の影がある。付かず離れずひょろひょろとついてきている。
 そのものずばり、塾帰りの可愛らしい女子中学生だか高校生だかと、それをつけ回す暇な変態男といったところか。
 ではそろそろ。
 一、二の、三、はいっと!
 あたしは屋根の瓦を蹴りつけると、道路脇の二階建ての家の屋根から飛び降りた。
「ようおっさんどうも」
 片手などあげつつ、その男の目の前に着地する。
「……うおわっ!」
 いきなり降って沸いた黒マントのあたしに、男は露骨に驚いた。ま、当然だ。
「はいはいどうも、はじめまして。夜のお散歩かな」
「うわうわうわ、何だおまえは!」
 けっこう気の小さい奴だな。
 近所迷惑だからでかい声出さないように。
「さて。依頼により、ストーカー行為をやめるよう宣言する。さあ、返事は?」
 言われても男の返事はない。
 当たり前だわな。いきなりどこからともなく、とにかく上から現れた変な女に、突然ストーカーやめろとか言われても、そりゃあんた、何言ってんだこいつとか思うだろな。
 ああ、ほらほら開き直った。
「ふざけるな! 何言ってやがんだお前」
「ふざけてんのは、てめーのほうだ。親の臑かじって大学行って一人暮らしして、何してんのかと思ったらストーカーだもんな。親が泣くぜえ?」
「な、な、な、お前……!」
「しかも去年は留年したらしいな。こんな暇人な事やってたら、当たり前だけどな。しかも家の方向は彼女の家とはまったく違う方角だろ。変なことに交通費使ってんじゃねえよ」
「何でそんなこと知ってんだ!」
「調べたからに決まってんじゃん。……ったく、めんどくせえ」
 バカにしまくった口調で言ってやる。
 ほんと、仕事じゃなかったらこんなことやってねえよ。
「警察に言っても厳重注意で終わりだしな。探偵に頼んでも、別に痛めつけてくれるわけじゃなし。というわけで、あたしの出番となったわけだよ」
「なんだそれは。お前、通り魔か? 空手少女ってかよ?」
 なんだよ。ストーカーの変質者のくせに、開き直ってあたしまで犯罪者にしようってか? それになんか、えらそーだな。あたしのことバカにしてるだろ。
 最初はびっくりして小心者になってたけど、落ち着いてみたら相手がただの女……正しくは女子中学生だったもんで、気が大きくなりやがったな。
「おやおや、どうやら本当に痛い目見たいらしいね」
 あたしはポケットに両手を突っ込んで直立していた。そのあたしのまわりを、静かに風が渦巻きはじめる。
 髪がかすかに、ふわりと浮いた。自然な風などではもちろんない。
 吹いているのはあたしのまわりだけ。
「な、な、な、何だよお前! うわああああ―――!」
 少し目を細めて笑うあたしを見て、奴は叫んだ。
 今ごろ遅いんだよねー。あたしもう怒ってるんだよねー。
 もったいぶって、片手をゆっくりとあげた。
「砕けて消えよ」
 何事か分かってないけど泣きそうな顔をした男の横の壁が、派手な音をたてて吹き飛んだ。……うーむ。男の悲鳴とこの音とどっちの方が近所迷惑だろ。 「あれあれ、よけやがったな」
 男は一体何が起こっているのか分かってないが、それでもいきなり壁が吹き飛んだりしたもんだから、腰が抜けたらしい。へなへなとへたり込んだ。
 あーあー、カッコ悪。第一今の、あたしがわざと外したんだけども。
 それでも『よけられた』のを演出しつつ、あたしは悔しそうに言ってみせる。
「もうしょうがないなあ。外しちゃったからもう一回」
 悔しそうでいてあたしの顔は嬉しそうである。いたぶって楽しんでますって感じだ。ふふふ。
 かかげていた掌を、今度は男のほうにスウッと向ける。けれど呪文を唱える前。
「ひいいいい。化け物おお!」
 男がでかい悲鳴をあげた。声なんか裏返っちゃってて格好悪いことこの上ない。
 その上、更に更にしつこくあたしを怒らせちまったようだなあ。穏便に事を進めようかなとか思ってたのに(さっきの時点ですでに穏便ではないだろうとかの意見はおいといて)、バカだねえ。
 そんなに自分の徳にならないコトして楽しいのかねえ?
「飆の(ひょう)風よ!」
 ぐおおおっと、音をたてて風が男のほうに向かっていった。それと同時、かまいたちが巻き起こる!
「ひいいいいい!」
 泣きわめく男の声とそれに混じって……少女の悲鳴っ?
 しまった……!
 まだいたのか依頼主の女の子!
 巻き込んだか? 
 かまいたちは、男のまわりぎりぎりを通り抜けて、その後ろの残ってた壁に激突して、今度こそ跡形もなく消し去ってしまった。もともと当てるつもりはなかったんだから当たり前だ。でも、女の子の方……っ。
 慌てて振りかえる、が。
 そのあたしの目に映ったのは、少女をかばって血塗れになっていた一匹の黒猫だった。



「くはあああああ」
 両手を伸ばして、思いきり伸びをした。あくびが出る。
「っかー、寒(さみ)いいい」
 寒いのは苦手なのに。まったく。
 羽織っている黒いマントを引き寄せて、小さく縮こまってみるが、あんまし効果はない。気分的な問題だな。
 あああ、こたつに入ってぬくぬく暖まって蜜柑が喰いてえ。緑茶に煎餅でもいいなあ。強いて言うなら醤油味。海苔煎餅でもいいねえ。
 優雅に紅茶でもいいなあ。最近は杏の紅茶にはまってんだよな。今日はクッキーかケーキ買って帰ろっかな。
 ほんわかと空想にふけって、ひとりでにやけていたあたしだったが、白い吐息を噛みしめて夜の空を睨みつけた。
 立ち上がって気配のする方に向き直る。
 ――――来やがったか。
 妖気だ。
「奪う炎」
 先手必勝。攻撃は最大の防御。と言うわけで、問答無用で攻撃をかました。手を薙ぎ払いながら呪文を唱えると、夜空が突然、まばゆい光にかき消える。夜空が突然、まばゆい光にかき消える。――ちっ、手応えがない。
「あちちちちちち。なんてことするんじゃ、この早とちり娘が」
 さっきの攻撃で、敵の姿が垣間見えた。小さな子供、か?
 それにしてもどっかで聞いた声だな。
「伏して願う、怒れる陽の――」
「だあああっ! 待て待て待て、わしを殺す気か!」
 叫びながら現れたのは、濡れたような黒髪の小さな少年だった。ところどころ怪我をしている。
 餓鬼のくせにこんな時間うろつくとは何事だ。やけに古くさいしゃべり方するしな。
「まったく、分別というものがないのかお主は。誰彼攻撃すればいいというものじゃなかろうに」
「お前誰だ」
「おお、そうか。この姿じゃ分かるまいの。ほれ、昨夜も会うたじゃろうが。あの――」
「うるさい、帰れ」
「自分で聞いときながら、なんて娘じゃ! いきなり人に攻撃呪文かますし」
「お前が人かよ。黒猫お化け」
「誰か分かっとるんなら、始めから聞くな!」
「うっさいなー。――砕けて……」
 再び掌を向けて呪文を言いかけたあたしに、猫の化けた子供は大慌てした。
 だいたい、昨夜にこいつが依頼人の少女をかばったりできたのは人間の姿になってたからだ。じゃなきゃ、猫の体で人間を庇おうにも限度ってモンがありすぎる。
「待て待て待て! 待たんかと言うに! わしはお主に頼み事をした以上、手伝いをすべきじゃと思うて参ったのじゃ。これこれ、睨むな」
「足手まとい」
「そんなことはあるまい。わしも何かの役にはたつじゃろうて。わしは手伝いがしたいのじゃ」
「いらん」
「身も蓋もない娘じゃのう」
 少年は大袈裟に首を振り振り溜息をついた。夜行性の、金色に光る目であたしを見て言う。



 昨夜、少女をかばって血塗れの猫の前に、あたしは呆れまくって仁王立ちしていた。
「バカだなお前はホントに」
 呆れまくってバカにしまくって、言ってやった。冷たく見下ろして、腕など組んで。
 依頼人の少女は、あたしたちのほうを遠巻きに見ているが、それでも心配そうだった。……んな顔せんでも、猫いじめなんかやらないって、別に。労力の無駄だし。
「あたしに貸し作ったところで、どうすんだよ。あたしは他人に貸しなんか作ったところで返そうなんて思わん奴だぞ」
 めんどくさいから。
「じゃが、放っておけなんだのは仕方があるまい。あのように力無き可愛らしい少女が不条理に傷つけられたのではな」
 猫は結構しっかりした口調で言った。
 なーんか、大丈夫そうか?
 それになんか、悪かったなああ、不条理に傷つけようとしてさ。あたしだってわざとじゃねえしー。
「お主に、頼みがあるのじゃ」
 やっぱそう来るか?
 恩売っといて頼み事かい。それにしても……。 「お前、探し人だったんじゃないのか」
「お主、魔道士(うぃざーど)じゃろ」
 おや、バカの癖に外来語をご存知でしたか。
「だけど?」
「わしは、そういう力の持ち主を探しておったのじゃ。わしを可愛がってくれておる少女を助けてもらおうと思うての」
 あー、もう。なんか厄介ごとだろ。
「人助けだと思うて、頼まれてくれぬかのう」
「あたしは心の狭ああああい人間でねえ」
 あたしなんかに恩売ったって、損するだけだっての。
「………………いくら払えばよいのじゃ。足下見るでないぞ。猫の身で持っておる物など、たかが知れておる」
「金なんか欲しかないもん。大金積まれても気分乗らないからやりたくない」
「なんて奴じゃ、信じられん」
 べっつに信じてもらわなくて結構。
「寂しいのう。なんてことじゃ。どうしたものかのう」
 猫はそのままぶつぶつとつぶやき始めた。
 困ったな。あたしはこう見えて実は頼まれると断れないタイプなんだよ。本当にまったく全然信じられないけど実はお人好しなのねとか、言われてしまうことが多々あるのだが。
 あーあー、しょうがねえなあ。
 あたしは猫の横にしゃがみ込むと、頬杖などつきつつ、めんどくさげに言ってやった。……いや、マジでめんどくさいことなのだが。ただ働きなんて。
「んじゃ、お前に選択肢を二つやる。一つはあたしがこのままお前をほったらかして頼み事を聞く。もう一つは、お前の傷は癒してやるが、頼み事は聞かない」
 さあどうするよ。
 かく言うあたしも指先から血をしたたらせたままなのだがね。
「もちろん、決まっておる」
 バカ猫はぐったりとしているものの、しっかりとした猫目であたしを見た。



 あの後、妙な騒ぎに近所の住民が通報したのか、警察のパトカーの音が聞こえてきたので、あたしは依頼人の少女と猫を抱えて逃げたのだった。
 男の方はあの後どうなったか知らない。別に興味ないし。
 破壊しまくった壁の方は……もう、勘弁してくれ。



「なんにしてものう。お主、昨夜のように、わしの飼い主の子を傷つけるんではないぞ」
 ああもううるさいなあ。
 確かに昨夜、このバカ猫があの少女をかばってくれてなきゃ、依頼料なんかもらえるわけない事態になってたわけだが。
 わざとじゃないしー。それに今回はボランティアだしー。
 そう思った瞬間、微かに何かが聞こえた。
 ……っ。しまった!


     かぜがよぶかぜがよぶ
     あわれなるわすられしもの
     ひをともせひをともせ
     われはここにある


 楽しそうに唄う声が聞こえてきている。
「だあもうバカ猫! お前のせいだぞ!」
 遅れをとった!
 あたりに強い風が吹き荒れ始める。それに重なるようにして、あたしたちのまわりに炎が渦を巻き始めた。その中に、小さな笑い声。――子供の声だ。
「うにゃううううううううっ。火は苦手じゃああああ」
 動物だからな、化け物とは言え。
「うるさいボケ猫。黙っとれ。集中できんだろうが」
 一体どこから――?


     かぜをよべかぜをよべ
     われはいくる


 火の勢いが強まった。風が押してくるのだろう。――おお、暖かい。
「ぎゃああああああもうだめじゃあああ」
 バカ猫がなんか叫んでる。轟々いってる火といい勝負だ。
 それはさておき、子供の笑い声が遠ざかって行く。あたしのことは完全に封じ込めたとか思ったのだろう。ほっといても死ぬとか勝手に解釈したのか。
 さてと。
 それじゃそろそろ。
「そは我に従うべし」
 あの声じゃなくてこのあたしの言うこと聞け。
 とまあそう言うようなことをぼそっと言うと、風はぴたりとやんだ。
 後は炎が夜空を染め上げるばかり――
「火の用心火の用心火の用心」
 小さくつぶやくと同時、いきなり火がかき消えた。
「うにゃ?」
 バカ猫が涙目で不思議そうに夜空を見上げている。
 ――ふむ。上出来。
「お主……」
 何もなくなった夜空を見上げて、子供の姿のバカ猫は言った。口が莫迦みたいに半開きだ。
 呆れてるか? 勝手にあきれるなっての。こちとら魔道を駆使して敵の攻撃を回避したってのに。
「先のは呪文か?」
 その問いかけに、あたしはにいっと笑った。
「さあ?」
 簡単に答えを返すと、黒いマントをひるがえして、さっきの声を追う。

次へ。

戻表紙。













SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送