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夜明けに聞こゆ君の呼ぶ声 後日談






















  お読みいただく前に。


まず「夜明けに聞こえる君の呼ぶ声」についての後書きから

 「夜明け〜」に関しては、本当に半泣きで書きあげました。特に、やっぱ血を吐くところとか、孔明と語ってるあたり、周瑜が「もう二度と」とか思ってるところ(分かるのかこの説明で?)。この場合のニュアンスは含むところが多すぎて、なんか書くのが辛かった。皆様にその辺り御桜の拙い文章で分かっていただけるか不安ですが、周瑜の死の場面を書くということで、寂しかったです。
 途中で何書きたいのか分からなくなってきて困ったりもしました。書きたいことがあったはずなのに、うまく言葉に出てこない。自分の未熟さが本当に悔しいです。もどかしくて嫌です。はやく何とかしたいものですな。
 ラストですが、どうにも書けなくて書けなくて大変でした。皆様、いかがでしたでしょうか? 一番気にしているところなので、是非是非お言葉ください。
■この後には、『後日談』という短編があります。これは『夜明けに聞こゆ君の呼ぶ声』の後の話ということになります。これはどうしても『夜明け〜』の方とは切り離して考えていただきたかったので、間にこういう文をはさみました。
 これを書くきっかけになったのは、演義でした。周瑜の死後、弔問に来た孔明が周瑜の棺の前で地面にひれ伏して泣き、その姿を見て魯粛も「孔明殿は心が広いが、公瑾殿は自分の狭量が狭くて死んだのだ」と思う……という、そのあたり。ふざけるなああああー!……という、周瑜ファンの絶叫が、この話には込められています。うちの孔明殿は変わり者なので、泣きゃしねえだろ、とも思って書いていました。
■その結果どうなったか、お読みになってから賛否両論いただきたいです。ラストの後、孔明殿は一体どうしたのか、そこのところは皆様のご想像にお任せいたします。
■それでは、お読みくださいませ。












後日談






 指先から体が凍ってきそうだと思わせるほど、身を包む空気は冷たかった。
 それが錯覚ではなく、実際の冬の冷気のせいだけでなく、大切な人を亡くした思いがそう感じさせるのだということは、彼には分かっている。
 その人の棺の横にひざまづいて、その顔を見つめると、悲しさに涙が止まらなかった。
 穏やかな彼の顔。病で死んだとは思えない、苦しみの片鱗も見えないその安らかな顔。
 どこか嬉しそうにも見えるのだ。
 何故そんなに穏やかに微笑んでいられるのだろうと、不思議でたまらない。いつも彼に聞きたいと思っていながらも、結局聞くことが出来なかった。
 とりあえず大慌てで巴丘まで見舞いに出かけたが、結局間に合わなかった。その死に目にあえなかったことは、良かったのか悪かったのか、今でも判断しかねることだった。
 兄である孫策の死を目にした周瑜の、その絶望に満ちた顔は、今でも覚えている。言葉を残されるのも、つらいものだとそのときに思ったのだ。――周瑜が、自分なんかに言葉を残してくれるかどうか、それを思えば、会えなくて良かったのかもしれないとも思う。
 あの義兄はきっと、微笑みながら「大丈夫です」と、それだけを言ったに違いない。大丈夫だから心配するなと。
 どうせその最期の最期まで、俺になんか、本心など見せてはくれないのだろうから。
 それでも……と、思う。  
 やっとたどり着いたと思って、やっと会えると思ったら、冷たい綺麗な顔しか見せてくれなくて、微笑みも言葉もくれないなんて、そんなのよりは、ずっとましだっただろう。
 そう悔しく思うけれど、誰にも看取られなかった静かな死こそ、周瑜の望んだもののようにも思える。
「殿、よろしいですか。孔明殿がおいでになっていますが……」
 遠慮がちに声をかけてきたのは、魯粛だった。
 孔明が来たなどと、よく顔を見せられたものだと思う。周瑜が劉備には徹底交戦を言っていたこともあり、孔明に対して画策していたこともあり、周瑜の死のことで、孔明のことを目の敵のようにしている者は多い。
 孫権が認めると、いつもと変わらず飄々とした孔明が現れた。
「この度は誠に、お悔やみ申し上げます」
「弔問に来られたのか」
「出来れば、祭文などあげさせていただけると嬉しいのですが」
 お悔やみだなどと、そんな孔明の態度で言われても嫌味にしか思えない。
 涙をぬぐってふりかえった孫権に対して、こんな場合でも、孔明は愁えた顔を見せなかった。
「こういうときは、本心でなくても、悲しい顔をしてみせるものだぞ」
 もはや怒る気もわかず、孫権は捨て台詞のようにそう言い残して、部屋を後にした。
 例えわざとのことでも、相手の気持ちを察してみせるものだと、それくらいしてはどうだと、暗に言って。
 その孔明が、周瑜を見舞いに訪れたことなど、勿論孫権は知る由もない。
「表に出ている感情だけがすべてではないのですけどねえ」
 戸が閉まるのを認めて、孔明はつぶやいた。
 孫権も、周瑜がそういう人だったのだから、分かっていてもいいのではないかと思うのだが、そういう純粋さが孫権の良いところだということを、孔明も認めている。
 その孔明のつぶやきに対してはあえて何も言わず、魯粛は事務的な口調で言った。
「これからは、劉備殿と同盟を結ばせていただこうと思っています」
「公瑾殿の意向とは違うのではないですか?」
 劉備側としては願ってもないことのはずなのに、孔明は断るようなことを言う。
「公瑾殿は、わたしに後事を託されました」
「あなたに、ですか……。なるほど、あの人らしい」
 いかにも分かったようなことを言う孔明に、魯粛は怒ったような顔をした。あなたに何が分かるというのとかと、言いたげに。
「どういうことですか」
「あの人の後を継げるのは、今の呉ではあなただけでしょうから。あなたの実力をよく分かっておられる。我を通さずに、自分の望みを捨てても、呉のためになることを選ぶ、あの人らしい冷静な判断です」
 ある意味自分を認める孔明の言葉に、魯粛はためらった。
 それから悔しそうに言う。
「それは、買いかぶりです。わたしには、公瑾殿の望みをかなえて策を継ぐほどの力量はない。実際、公瑾殿だからこそ、出来る策だった。彼こそが実行するにふさわしい策だった。荊州、益州を平定して曹操を討つという策を打ち出されて、まさにこれから出陣というところだったのに……。討逆将軍が亡くなられてから、もうずっと長い間苦しんで、やっと前向きになられたというのに……。これからというときに、あまりにも報われぬ」
 周瑜とは、孫策在命中から長い間友人であった魯粛の目には、悔しそうな涙がにじんでいた。周瑜のために、孔明をも殺そうとしたことのある魯粛である。
「報われぬ、ですか」
 その魯粛の涙にも、孔明はつまらなそうな顔をした。
「本当にそう思われますか」
 穏やかな周瑜の顔を見下ろしながら、冷ややかに言う。
 報われず、苦しんで悔やんで死んだ人間が、こんなにも穏やかに微笑むことが出来るものだろうか。
 孔明の声音の、あまりの冷たさに、魯粛は驚きを込めて孔明を見上げた。その孔明の、怒ったような表情に、まさかと思う。
「同盟の件、有り難くお受けします。正式な返事は後ほどになると思いますが……。独りにしていただいて、よろしいですか」
 再びいつもの調子で笑う孔明に、魯粛は断る言葉もなく頷いた。
 やがて後ろで戸が閉まる音を聞いても、孔明はその場から動かずに立ちつくしていた。
 陽も暮れて、締め切られた薄暗い部屋の中、灯されているのは、棺の近くにある燭台にだけである。
 ほのかな明かりに照らし出された孔明の顔は、これ以上ないほどに冷たい。他人に本心を見せることのない孔明の、奥底の冷たさが、表れていた。あまりの冷たさに、この場に人がいれば、戦慄を覚えるだろうほどのもの。
「結局、人の言うことなんか、聞いてないんですから、あなたは」
 私も人のこと言えた身じゃないがと、心の中で冷静に思う。
 けれど、いつもなら、切り返すように言い返してくる人が沈黙していることに、苛立ちを感じた。
 ――あなたには言われたくありませんね。
 冷静に思いながらも、そう言い返す声をどこか期待していたのだ。
 薄明かりのもとで、白い綺麗な顔の周瑜が、穏やかに瞳を閉じている。黒々とした髪を広げて、まるで眠っているようだった。
 ふと目を覚まして、いつかのように笑ってくれそうな気がするくらい。
 冷たい顔のまま見下ろした孔明は、身をかがめて顔を近づけた。
「公瑾殿」
 ささやくように言う声に、応える声はない。
 閉じられた瞳も、もちろん開くわけがなく。
 ――目を、覚ましてくださいよ。
 いつか思ったことと、同じことを思う。
 相変わらず赤い唇からは、けれども、昔のように吐息はもれてこない。
 同じように寝顔を見た、二年前。同じ顔を見て、そのはかなさに、悲しさに、不安を感じた。
 なのに今は、あのときほどの危うさも悲しさも感じない。
 ふつう、逆じゃないのか。
 そう思えば、怒りも覚える。
 ――報われぬ?
 こんなに、穏やかな顔をしていて、報われぬ?
 ――確かに、そうかもな。
 知らない人から見れば、この人は英雄だ。華やかな勝利を手にして、呉の民からも人気があり、好かれていた。人が持っていないものをすべて持っているような人だっだ。端から見れば、うらやましくて仕方ない人だったはずだ。だからこそ、この絶頂期に命を落とした英雄を、人々は哀れむだろう。
 この人を知っている人から見ても、魯粛の言う通りに、やはり報われない悲しい人に見えるはずだ。
 それでも孔明は、反感を覚える。
 周瑜は富も名声も栄光も、欲していなかった。そんなもの、彼には何の意味もなさなかった。
 この人は最期の瞬間、確かに幸せだったに違いない。
「そんなに好きなんですかねえ」
 二年前、眠っている周瑜にいたずらで口づけようとしたとき、周瑜は孫策の名をつぶやいたのだ。まるで阻止するように。
 無意識にその名を呼ぶほど、彼は孫策のことだけを思っていた。
 けれど今は、その言葉すらもない。
 抵抗がないとつまらないものだなと思った瞬間、孔明は違和感を感じた。
 なんだ、これ?
 ぽた、と、周瑜の着物の上に雫が落ちる。
 ただひたすら冷たい、見られたものが凍りついてしまいそうな、周瑜を見下ろす冴えた瞳から、涙がこぼれている。そんなのまったく予想していないことだった。
 ――冗談じゃないぞ。
 頭では冷静に思う。
 別に感情が高ぶったわけでもないのに。
 かがめていた身を起こして、どうしたらいいかも分からず、孔明はがしがしと頭をかいた。それでも涙は、止まらない。いっぱいになった容器から水があふれるように、ただ涙が流れていくことに、困惑していた。
 壊れた。
 それ以外に考えられない。だってこれおかしいぞ。
 とりあえず乱暴に、それでもおっかなびっくり、着物の袖で涙をぬぐってから、大きく息をつく。
 この人を喪くしたら、つまらない。それだけは確かだった。
 決意するように今度は大きく深呼吸をしてから、膝をついて周瑜の顔を間近にのぞき込む。
 相変わらず妖艶で、相変わらず綺麗な周瑜の顔を見てから、柔らかな表情の周瑜に言った。まるで確認するように。
「化けて出るっておっしゃってましたけど」
 ――幽霊でも、会えないよりいいかな。
 そう思う孔明の顔は、すっかりいつもの飄々としたものに戻っている。
 取り殺されるならそれでもいいかと、呑気に思う彼に、いつもの、切り返すような冷静な反論は、聞こえてこない。

  





                    終

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