第一章







 外は、舞い散る桜の花びらと共に、降るような満天の星空が広がっていた。  暖かくなって来ているとは言えやはり宵の口ともなると肌寒く、恋人の暖かい腕の中で眠る予定だった彼には、余計に身を苛むように感じられた。
 まだ夜更けてもいないから、今なら家に戻ることもできるはずだ。そもそも息子の夜遊びに大して口を挟む親ではなかったから、叱られるとかわずらわしいというわけでもなく、家に帰れるかどうかというのはただ単純に門が閉められてしまっていないかどうかという問題だったが、多分まだ大丈夫だろう。だが、そういう気分にはならなかった。
 しかたないから、少しぶらつこうか、と歩き出す。
 追い出されたのは、街道沿いにある町の中、そこでも大きな商家だった。街道沿いの町とは言え、明かりは貴重なものだから、人の寝入りは早い。静寂の中を歩いて町を抜け、街道を歩いていく。
 遠く、鮮やかな桜に染まった山と、月に映える城が見える。それを眺めながら風に舞う花びらの中をぬって歩くのはなかなかに風流で、酒がないのが残念に思えた頃、騒々しい足音が耳に入ってきた。
「あれっ」
 そぞろ歩く少年の姿を見つけたようで、足音が早くなった。
「嘉銅(よしたか)様、こんなところで何をしてるんですか」
「お前は、毎度毎度、わしを見つけるのがうまいよなあ」
 駆け寄ってきた相手に、少年は笑いながら言う。
「最近は見つけやすくなりましたよ。いつも同じ女性のところにいらっしゃるから」
「やはりそうか。つまらんなあ。お前をからかうのも楽しかったのに」
「そんなことおっしゃっても、今更傷ついたりしませんよ。もう、あんまりうろつくなとか言いませんから、外に出られるときはわたしにくらい、ひとこと言い置いていってくださらないと困ります」
 仕事ですからね、と相手は割り切った答えを返す。柿沼映萩(かきぬまえいしゅう)というこの少年は、彼の側仕えで世話役だったが、いわゆるお目付け役も兼ねていた。
「多少平穏な世になったとは言え、安全だとは言い切れないんですから。しかもこんな時間におひとりで外をうろついて。遊び癖は困りますけど、外にいるよりはどこかの家の中にいてくださるほうがまだマシというものです」
「お前の説教は聞き飽きた」
 わざとらしくあくび交じりに、少年は言う。そして、いたずらな目を相手に向けて続けた。
「今が平穏だなどと、よく言えるなあ。やはりお前は呑気なやつだ」
 明るく笑う。彼はそう言うが、多くの人の目には映萩の言う通り、今この世は、数十年前に比べれば十分に平穏なものに映っているだろう。
 この国は、数百年前に国主を失っている。自ら皇族の血を引く者の叛乱により滅びた皇家にとってかわろうと、多くの者が刀を手に争い、国中が乱れた。突如訪れた戦乱の中、幾度かの政変や争いを経て、現在は停滞期に入っている。
 以前の政権が崩壊した折にも、大きな乱があった。疲弊した武家たちに呼びかけ、うまくたちまわったのが今の中央政権で、もともとは数ある武家のうちの一つに過ぎない。血統で言えば少年の方が、中央に立つには正当性を持つ。少年の生家、遠くに見える城に住まうのは、最初の乱の折に討たれた帝の庶子を祖にもつ神宮家だ。神宮の家としても、何かと渦中に巻き込まれやすく火種のひとつになり得るのは重々承知しており、それをきらって大人しく中央の政権からは離れて大人しく過ごしているが、彼らの他にも、名乗りを上げるのに十分な理由を持つ家々がある。
 それでもこうして表向きには静穏な日々が続いているのは、多くが、以前の政変の折のような大騒動を嫌っているからであり、または水面下で力を蓄えているからであったが、そんな状況でもやはり、今は平穏な世であると言えた。目に見えない部分での争いはともかく、現況は確かに、落ち着いていた。その証拠に少年自身、生まれてこの方大きな戦というものを経験したことがない。
「呑気で結構です。考えるのは、わたしの仕事じゃありませんからね」
 あなたの仕事です、と言わんばかりの目で、映萩が少年に眼差しを送る。
「それにしても、どうしてこんな時間にこんなところをうろついているんです。とうとう、浮気ですか? 若君の遊び癖がおさまったと思って、少しばかり感心していたのですけどね」
 半年前にある少女に出会ってから、嘉銅は他の女に手を出さなくなった。それからさらに、三月ほど。
 数えてみて、もうそんなに経ったかと、少し感慨深くなる。最初に肌をあわせたのはいつ頃だったか。
「若君。聞いてますか、若君」
 ざわざわと風に草木が鳴る音がする。揺さぶられた桜の小さな花びらが降っている。やはりまるで、星が降るようだ。
「聞いてない」
 酔ったような気分で空を見上げながら、嘉銅はさらりと答える。映萩がため息をつくのが見えたが、気にしない。
「簡単に言い切らないでくださいよ」
「お前もいい加減、外にいるときは、若だとか言うのをやめろ」
「わざわざ変装なさってお忍びなのは分かってますけど、今は他に誰もいないじゃないですか」
「別に変装なんかしてない。わしはこれの方が楽だからこうしてるだけだ」
「望めば国主の名乗りをあげることもできるお家柄ですのに、神宮の跡取りが何をもったいないことおっしゃってるんですか」
「神宮だからだろ」
 嘉銅は、からからと笑って応える。
「それは、そうかもしれませんけど。人の話くらい聞いてください」
「悪気はないけどなあ。神宮の血は、春になると惚けるから仕方ない」
 なんですかそれはと、戸惑ったような声が返ってきた。それにも笑って返しながら、嘉銅は続ける。
「この土地の名の由来を知っているか?」
 国の西方に拠点を構える神宮家には至宝がある。
 その一つが、「神居の剣」。「神威」とも呼ばれるそれは皇家の宝であり、初代の血を明かすものだった。神宮の者が家督を継ぐ時に、同時にそれも受け継がれる剣だ。名刀というよりは、古からの宝で、かつては、皇族縁の社に祀られていた。
 神宮初代の父は、帝の庶子だった。その人が政治の道具として連れて行かれたとき、すでに彼には妻も子もあった。その家族を捨て国の頂点へと連れ出される前に、自らの子の為に残していったものが「神居」だった。
 やがてその父が帝となり、自ら皇家の血をひく飛田家が乱を起こし殺された。現在では、西方の地でひっそりと土地を守って暮らす神宮とは裏腹に、東の地で随一とも言える権を誇る名家、飛田家。
 当時の飛田家は、世間を乱による混乱と恐怖におとしいれ、周辺の貴族や武家をも言いなりにして、執拗に皇族を追い続けていた。そんな動乱の中、母の家を滅ぼされてもその剣を背負い続け、逃げ続け、生き続けた神宮の初代は、豪胆だとか英傑だとか言う前に、ただ単に大変な意地っ張りだったのだろう。そしてその後名乗った姓が「神宮」なら。――神の棲む剣を持つ、神の宮、神の子、と自ら名乗ったのだから。飛田家に対するあてつけと、怒りが込められ、更に皮肉と、遊び心の詰められた名乗りだった。
 そしてもう一つの至宝が、この土地だ。
「うちの初代が、母の実家を滅ぼされて、自身も追われながら諸国を放浪していた頃、この土地に辿り着いた。そのときこの土地はただの田舎でな、見事な桜といえば、この辺りで唯一の大きなお屋敷の庭に咲き誇るものだけだったそうだ。そこで初代は皇族の姫に出会った。彼女が生まれたときに、その屋敷の桜が咲き乱れたという逸話から、桜花姫と名づけられたその姫は、たいそう美しい人だったそうだ。そして初代は、彼女に恋をした」
 しかし飛田が、皇族狩りをしていた頃だった。当然ながら、都から離れた土地にひっそりと暮らしていた姫もその家族も飛田に追われ、屋敷も焼き払われた。
 平穏な時代なら、出会うことなどなかっただろう。幸運と言うか。不幸と言うか。迎えた結末を、悲劇と言うか。
「やがて彼女が亡くなった後、姫を悼んだ初代が、姫の生家のあったこの土地に姫の名をつけ、桜を植えさせた。はじめでこそ貧相な景観だったろうが、今では国に誇る絶景だ」
 それは、この土地が戦火に荒らされていない事、そして神宮が土地を荒らしていないことを証明している。ただそれだけでも誇りだ。
 嘉銅は、小さく笑いながら言った。
「神宮の人間にとって、この土地と桜は、守るべき人で、愛でるべき女だ」
 身一つのところから、人に助けられながら、やがて家を興した神宮初代が名を挙げた土地。西の神宮家、その本拠地、桜花。
 話し終えてから、嘉銅は前を向いていた顔を急にうつむけ、盛大なため息をついた。突然、全身でがっかりした様子を見せられて、いつものことながら主人に振り回され、映萩は戸惑いを隠せずに問いかけた。
「どうしたんですか」
「こういうのは、女を口説くときに使う話だった。お前に話したって、おもしろくない」
「はあー、そうですか」
 がくりと肩が落ちる。嘉銅の語る話の壮絶さや儚い恋物語にちょっと浸っていたところだった。それから嘉銅が、遊び呆けているようで、その実、自家や領土の歴史をきちんと把握していたことに少しばかり感心したところだったのに。
「で、どうしてこんな時間に、こんなところをうろついているんですか」
「浮気だ」
 お前がさっき言ってただろう、と嘉銅が言うが。
「ふられたんですね。若君」
「それはどうだろうな」
「はいはい。見栄をはるのはいいですから、お家に帰るおつもりがないのでしたら、どこかに宿を求めましょうよ。どうせ若のことだから、宿を貸してくださる女性の当てなどたくさんあるでしょう。わたしも御一緒してお邪魔にならないような程度の、広いお家のところにしてくださいね」
「お前、そこまで主を馬鹿にする侍従もめずらしいぞ」
「若がいつもわたしを馬鹿にするからです。あてがないなら、早く帰りましょう」
 主より少し年上の侍従は、あしらうように嘉銅に言う。
「わしは、今日は帰らぬ。お前だけ帰ればいいだろう」
「そんなことができるわけないじゃないですか!」
「じゃあついて来い。男二人で夜明かしなんて無粋だが、仕方ないな」
 いつしか彼らは街道を離れ、小さな道を歩いていた。やがて小川沿いへと出ると、嘉銅は小さな橋の下に降りていってしまう。
「若、そんな宿無しみたいな真似はやめてください」
 そういう無茶苦茶な行為を止めるのが映萩の役目だから、一応は口にしたが、聞いてくれる相手ではないことを知っている。
 仕方がないから後ろを付いていって小さな河原へ降り、草の中へ腰を下ろした。頭上に、再び風の音が行過ぎていく。見上げれると、散る花びらに埋もれるような錯覚に襲われた。
 ごろりと寝転んで、寝の体制に入っている主に、少年は再び声をかける。――このまま寝てしまったら、風邪をひくかもしれないと、ちらりと頭によぎったが、動いてくれないのだからどうしようもない。
「それで、結局のところふられたんでしょう?」
「追い出されはしたが、ふられてはない」
「それを普通は、ふられたと言うんですよ」
「違うな。わしの場合は」
 自信過剰気味の言葉に、映萩はとうとう、はいはいと軽く返事をして口を閉ざした。相手の言葉は決して負け惜しみのようには聞こえず、いつもと変わらず真意の分からないのらくらとした声音で語られていて、確かにふられ男のようには見えない。少なくとも、落ち込んでいて家に帰りたくないと言っている様子でもなく、何か感慨深げに見える。彼の言う通り、血に誘われて、春の宵に酔っているのかもしれなかった。
 浮かされるように、言葉を落とした。
「嫁を娶るぞ」





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