第一章







 嘉銅は日の出と同時に起き出すと、城へ向かって歩き出した。人々の生活は早く、そんな時間にも道を歩いていれば声をかけられる。それに軽く応えながら楼門まで帰りつく頃には辺りも白く照らされ、清々しい空気に包まれていた。城につくと、門衛が苦笑気味に迎えてくれる。  城内の人間も、朝は早い。
 灯りは高価なものだから、日が沈むと同時に休み、あたりが明るくなるのと同時に起きて活動を始める。昨今では大きな戦もなく、戦支度に多額の費用がかかることもなくなったから、他国ではもう少しゆるやかな生活をしているのかもしれないが、神宮はあまり贅を凝らした活動を好まない。
「じゃあな映萩。わしは親父殿に用事があるから、お前は朝飯を食うなりして、一休みしておれ」
「そういうわけにはいかないでしょう。また人の目を盗んでどこかに行かれたら困ります」
「わしもどうせ腹が減っておるし、素直に飯を食らってくるから、変に疑るな。本当に親父殿に用がある」
 主に向かって疑わしげな眼差しを向けてくる映萩を、軽く手を振って追い払おうとした。だがそこは映萩も自分の主を良く分かっていて、簡単には引き下がらない。
「確かにわたしは若君のお陰でゆっくり休めませんでしたし、若君につきあわされたお陰で大変腹も減っておりますが、お役目の方が大事です。おっしゃる通りに、きちんとお父上に面通りなさって、今日の講義に就かれるのを見送ったら、お食事をとらせていただきます」
 聞く耳持たない様子で、つんと顔を逸らして言う映萩に、嘉銅は苦笑してみせる。
「お前は一体いつまでわしを子ども扱いするつもりだ? もう十八だぞ」
「子ども扱いされるようなことばかりしているお人が悪いのです。わたしを飢え死にさせるおつもりでなければ、早くご仕度なさってください。そうでないと、横でずっと腹の音を聞かせて差し上げますからね」
「それは困る。笑えて何も手につかん」
 すでに笑いながら嘉銅は、寝具が敷かれたままの自室に入っていく。
 部屋に入るや否や嘉銅は派手で丈の短い着物は脱いで、頭や刀を飾る色とりどりの紐もはずして、とりあえずの風体を整える。自分でやるよりも人にやらせた方が見目が良いからと、せっかくなのでそこにいた映萩に髪を結わせた。
 現神宮当主である嘉銅の父も、時々ふらりと姿を消す嘉銅が何をしているのか、まったく知らないわけでないだろう。だが身分を隠して、どこの誰でもない人間になっている時にしていることに関しては、目をつぶってくれているところがある。しかし城の中、特に家臣の前での態度に関してはとても厳しい。
「ところで若君」
 きりきりと、嘉銅の髪を結いあげながら、映萩がつぶやくように問いかけてきた。
「なんだ」
「お屋形様に御用って、昨夜おっしゃってたことですよね?」
「昨夜何か言ったか?」
「ごまかさないでください。……本気なんですか? 当分夜遊びだって自粛しないといけないんですよ。当然今まで以上の責任だって伴ってきますし、ただでさえ、今のこの時期……」
 放っておけば延々と続きそうな言葉を、嘉銅は笑いながらさえぎった。
「お前は過保護に過ぎるのか人を馬鹿にしておるのか、いまいちよくわからん奴だな」
 今のこの時期、と言うが。
「頃合も頃合だろう。これ以上先延ばしにできるものでもあるまい」
 頃合、の言葉にはさまざまな意味が込められていた。時事や状況をさすものとは別に、嘉銅自身のことを言っているのならば――確かに、頃合だろう。それどころか、遅いくらいだ。元服と同時に添寝の女性が決められ、そのまま側室におさまるのも珍しくないことだったし、大抵はもっと若いうちに妻を娶る。
「やけになってるんですか?」
「やけに見えるか、これが」
 髪を整え終わり、振り向いて笑う嘉銅の様子は確かに、無理に明るく見せている様子でもなく、何を企んでいるのか分からないところは相変わらずだった。むしろ、いつも以上に何か不穏な空気は感じるが。――それも、何かいたずらめいたものだ。
 彼は顔を前へ戻すと、いつも通りの声音でつぶやいた。
「女など、どれでも同じだ」



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