城の中にも、朝の清々しい空気が満ちている。何食わぬ顔で、涼しげに朝餉の席に着いた嘉銅に、父は少しだけ眉を上げて見た。 「お前は、また勝手にどこへでかけておった」 「ずっと家におりましたよ」 「夜に覗いたときはいなかっただろう」 「折り悪く厠へ行っておったのでしょう」 のらりくらりと応えていると、父は大げさにわざとらしくため息をついただけでそれ以上何も言わなかった。 「それで、おとなしく朝餉の席に出てきた理由はなんだ?」 呆れたような父親の言葉に、嘉銅は、まるでわしが不義理な息子のようではないですか、と一言文句を返してから、続けて朗らかに言う。 「室を娶りたいのですが」 ほんの束の間、沈黙が落ちた。 しかしそこは父も心得たもので、箸を手に取りながら、むしろおもしろがるような声で言った。 「最近、執心だと言う娘か。家に迷惑をかけない範囲なら、妾なり側室なり好きにすればいい」 父に、昨夜の娘のことを話した事などないはずだが、さすがに当主はしっかりと息子のことを熟知していた。誰から仕入れた話かは当然聞くまでもない。映萩はそれが仕事だ。 だからいちいち食ってかかるような真似はせず、嘉銅は淡々と応えた。 「違います」 昨夜の娘のことを父が話題に出したのは、あらゆる意味での牽制と、逃げであることがわかっていたが、そんなことにはつきあってやらなかった。 「冗談を言っている場合ではないでしょう。わしは、正室を娶りたいのです」 箸を手にしたものの、食べ物を口に運ぶ気が失せたのか、行儀悪く膳をかきまわしていた父親の表情が少し強張る。冗談めいたものの満ちていた空間が、少し張り詰めた。 「今、この時にか」 「そうです」 「どちらにせよ、あちらが本気で動き出した以上、のらりくらりといつまでも逃げていられる状況でもないでしょう」 少しばかり、神宮当主の眉間に皺が寄る。結局何も口にしないまま箸を置いた。 「それは、お前に言われるまでもないが」 今の政権を握るのは、鎮撫征討(ちんぶせいとう)将軍を名乗る、氷鉋(ひがの)という、もとは小さな武家だった。 東随一の権威を誇る飛田家が、突如乱を起こして内裏にて帝を討ち、その後皇族を滅ぼしてから、時代は動乱期へと移っている。その後、当時の飛田当主が政権への興味を示さず、執拗に皇族を追い続けたため、そしてその次の代の飛田当主も沈黙を守ったため、飛田が権力を掌握するにはいたらず、治める者のないまま時代は混乱し続けた。 もともと貴族は力を失い、武家が権力を持ち始めた頃のことだから、その力関係が逆転するのも、そのまま戦乱の時代へと突入するのも、決して不自然なことではなかった。そんな中、自ら覇者を名乗り、この国を統一して治めようとするものが出現すること数度。 そうして持ち上がった政権が混乱の内に崩壊した後、最初の混乱時と同様に、各地を治める武家は各々自分の領地に納まり、それぞれ勝手に身分を名乗り、自国を独立領として統治していた。だがそれで、もともとひとつの国だったものを、人々の欲が動かないわけがない。より多くの領地を――食うための田畑を求めて、動き出す。そんな最中、主人のいない旧都を中心に、大規模な民の叛乱が起きた。 それをうまくおさめたのが、たまたま都の近くに領を持っていた氷鉋家だった。氷鉋家はうまく立ち回り、周辺の家々と協力し、乱をおさめた。そして、周囲にかけあい集団をまとめていたのが自身であったのを良いことに、そのまま武家集団の長におさまり、都に居座った。あまりのさり気なさと、集団の長であった事実がある以上、乱をおさめるのに協力していなかった家々も、氷鉋家を国の長と認めざるを得なかった。――逆に、乱を収める手助けをしなかっただけ、居心地の悪い空気が満ちてしまった。 そして武家の者たちも、人の下に再びつく歯がゆさを抱きながらも、他から与えられる身分、地位を受けることに対して、不満をもたなかった。自分で勝手に好き放題名乗っているよりは、周辺諸国に対し、民に対しても外聞が良い。 氷鉋家がうまく人々の上に立つことができたのは、自分たちに正当性がないことを、熟知しており、ありもしない正当性を必要以上に誇示しなかったからだ。自ら高貴だと声を強く主張できるほどの家ではなかったし、さほどの血縁もなかった。 だから、声を高くして正統だと主張できる飛田家と神宮家に対する扱いは、慎重だったと言えるだろう。 しかしながら、だからこその現状がある、と嘆く声もある。 珍しく真面目に何かを考えているらしい――もしくは、何かを企んでいるらしい息子の顔を見て、神宮当主は、大げさにため息をついた。 「もともと、危うい均衡の上で保っていた政権だったがな」 少なくとも現神宮当主が家督を継いでからこちら、表立って大きな戦があったことはない。それまで戦乱がながく続いたことを思えば、氷鉋家はうまくやっていると言えるだろうが。 「飛田の血なぞを入れるから、こういうことになる」 |
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