終章 |
辺りはまたわずかに明るく、山奥とは言え明かりもなく歩ける程度には日の光が残っていた。しかしそれも、あとわずかで完全な闇に染まる。 人気もなく、街灯すらなく、月と星の明かりだけを頼りにしなければならなくなる。そして一歩寺の敷地を出てしまうと、木が深く生い茂るそこは、すでに暗かった。 道から少しでも外れてしまえば、そこは暗闇。深淵に向かって、歩いていくような気になってしまう。あの中から何かが覗いていても、なんの不思議もない気がする―― 「ほら、伯符。住職殿に挨拶に行きますよ」 髪を黒く戻した周瑜が、立ち止まった孫策を振り返って言っている。孫策は山の木々から目を引きはがすと、小走りに追いついた。 準備のために、生徒たちより一足早く二人で主催地になる寺に来ていた彼らは、寺の境内を歩いていた。ちなみに学園と女学園の生徒たちは、今頃他のメンバーの引率で学校を出発しているところだろう。 「そうか。一応責任者だから挨拶に行かないとな。えーと、住職って、なんて名前だっけ?」 「確か、干吉……とか」 「ふーん。干吉なんて、不吉な名前だー、なんてなー」 「寒いよ伯符……」 夏だというのに、どこか本当に寒く感じてしまうのは、どうしてだろう。連れだって歩いていると、この雰囲気もいくらか緩和されるのだが……。 「こんな近くに、こーんなに恐いところがあるなんて知らなかったよ。先輩もよく知ってたなあ」 「先輩はとにかく情報網が広いからね」 周瑜が応えたところで、建物への入り口と人を探して歩いていた彼らは、石畳の上をで掃除をしている人を見かけた。こちらに背を向けているその人は、頭を丸めているところとその僧衣からしてこの寺のお坊さんのようだった。住職の居場所を聞こうと、そちらに歩いていきながら周瑜がやわらかく声をかける。 「あの、すみません。お尋ねしたいのですが」 「なんだね」 応えは、背中越しに返された。 「三国学園の者ですが、ご住職にお会いしたいんです。どちらにいらっしゃるか、ご存じではありませんか?」 周瑜の声に、今度はわずか沈黙が返る。それから一拍おいて、坊主は言った。 「……住職?」 低く抑えられた声は、妙な威圧感があった。 辺りは、そろそろ本当に闇に沈もうとしている。陽の光も人の灯りもない中、さほど人里から離れていないこの山はそのくせ、異常なほどの寂れた空気を持っている。まるで他から切り離された、異界の様な―― その中、箒を手にした僧は、ゆっくりと振り返る。周瑜の横で、孫策が一瞬身をすくめたのに気がついて、周瑜は嫌な予感がしていた。 「住職はわしだが」 僧の声に誘われるようにして、彼を見る。振り返ったその顔には、中身がなかった……。 一瞬、夏の熱気が凍りつく。 「うわああああああ―――― 」 一拍も二拍もあけて、悲鳴が響きわたった。呼応して、周りの木々から鳥が飛び立つ音がいっせいに起こる。 そして、その場に棒立ちになって身動きとれない孫策に、そののっぺらぼうは、ひょろひょろと奇妙な動きで迫ってきた。 「うひょひょひょ。派手に驚いていとるのう。ほれほれ」 もはや孫策は、声がくぐもっていることも、笑い声が奇妙なことも、まったく気にならないようだった。顔を青ざめさせて体を堅くして、何かを考えるよりも早く行動をおこしていた。 風を切る音。容赦のない見事な正拳突き。目にも止まらぬ速さのそれは、恐怖の反動で相手を攻撃していた。 バキッと聞こえた音は、のっぺらぼうに命中した音、ではなくて。竹箒でガードしたのっぺらぼうの、その竹を拳がへし折った音だ。孫策は相手を殺しかねない力一杯の攻撃を防御されて、さらに恐怖を増加させてしまったようだった。 咽をひきつらせた音を立てながら、大きく息を吸い込む。 そしてもはや蒼白な顔で、くるりと踵を返した。 「かかかか。なーんじゃ。ただのお面なのにのうー」 住職はパカッとお面を外して笑う。ご丁寧にも張り子で作られた手製のお面だ。暗闇の中なら、気がつかなくても無理はないだろうが……そんなのもう、誰も見ていなかった。当然聞いてもいない。 孫策は再度あげた大音量の悲鳴をひきずるようにして、道とも階段とも言えないような、古びた参道を駆け下りていく。それはもう、もの凄い勢いだった。 住職のいたずらに驚いたことよりも、周瑜は隣で聞こえた大絶叫と、孫策の過敏反応に、小さくなっていくその背を眺めて絶句していた。 しばらくして、ようやく一言。 「だから、大丈夫なのかって言ったのに……」 昔から極度の恐がりのくせに、と周瑜がつぶやいている。そのくせ人一倍好奇心旺盛なものだから、恐いもの見たさでオバケ屋敷などに入って、毎度毎度えらい目にあっている。なのに、懲りないのだ。まったく。 ため息一つ、周瑜は孫策を追いかけて駆け出した。 後には残された住職一人、つまらなそうに立ちつくしている。 生徒会長不在につき、肝だめし大会、延期。 終わり |
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