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STAND BY ME



























 蒼い天は高く遠く、果てしなく深く――美しい緑の豊かな大地は、見晴るかす彼方にまで広がっている。風はその中にたたずむ者にふきつけ、そしてからかうようにひるがえりながら、その果てへと流れていく。
 ――こんなにも遠い。
 世界は、こんなにも遠い。
 そしてあなたは、それよりも遥かに遠く――


「おーい。公瑾、生きてるかー」
 透き通って遠い空に、のんびりとした元気な声が響いた。雲一つないのに、周瑜の顔に影が落ちる。
 明るい茶色の瞳と目があって、周瑜は思わず目を伏せた。
「生きてますよ」
 緑の若草の中に手足を投げ出して寝そべっていた彼は、そのままで静かに答える。覗き込んでくる主君の顔を、直視できなかった。その強い瞳を見つめ返すことができない。
「そんなに真面目に答えなくてもいいのに」
 少しあきれをにじませた声で孫策は言う。
 周瑜の横でどさっという音がして、瞳を閉じたままでも、孫策が周瑜と同じように仰向けに寝ころんだのだと分かる。
 風がその汗のにおいを運んできて、彼の体温すら感じられるような気がする。その鼓動すら、聞こえるような気がする――
 彼はきっと、周瑜がいないのを心配して探しまわっていたのだろう。もうだいぶん探したのだろうということが、その汗で分かる。それなのに当の周瑜はこんなところで呑気に寝転がっていて、あきれたかも知れない。怒ったのかも知れない。
 ただ彼は何も言わずに、周瑜と同じように空を見上げた。


 しばらくしてから二人は、連れだって歩いて帰っていた。その間中孫策は話し続けている。
「今日はいい天気で良かったなあ」
「そうですね」
 周瑜は始終、当たり障りのない相づちを打っている。
「今度は馬で一緒に出かけよう。ひとりだけで行くなよ」
「心がけます」
「それにしても公瑾が仕事さぼるなんてなあ。意外だな」
「意外、ですか」
「だってさ、お前昔はさぼったりしなかっただろ。勉強さぼるときはやっぱ、いつも俺のせいだったじゃないか」
「……そうでした」
 周瑜は少しだけ頬に笑みをにじませた。それに気がついて孫策は破顔しかけたが、周瑜のその笑みがすぐに消えてしまったのを見て、中途半端なまま笑うのをやめてしまう。
 うつむきそうになってから、慌てて周瑜の方に向いて言葉を続けた。
「よくお前の母上は、俺と遊ぶのやめなさいって言い出さなかったなって、今更ながらに思うよ。うちの息子に悪影響を与えるからとかって、さ。寛大だったなあ」
「あなたはただの悪餓鬼じゃなかったでしょう。器が違いましたよ、昔から」
 同時に、あまり人と深く関わろうとしなかった周瑜が、誰かに心を傾けるのを見て、彼の母親が安堵していたなどとは孫策も周瑜も知らないだろう。
 孫策はほめられたことに、少し照れたようだった。
「そうかあ?」
 彼が笑みを向けると周瑜は微笑みを返す。
 そのいつもと変わらない、穏やかな笑みに、孫策の笑みは少し曇ってしまった。
 周瑜は穏やかな人だった。温厚で、誰にも優しい人だった。笑みを絶やさない気遣いの人でもあった。……それは、皆に平等に。
「お前さあ……」
 言いかけて、向けられている笑みが変わらないことに、孫策はそのまま続けられなくなってしまった。
 ――俺も、同じなのか。
 その他大勢なのかと、怒りたい。
 ――そうじゃなかったはずだ。
 子どもの頃から一緒に育ってきて、無二の親友だった。自分はそう思っていた。でも……。
 ――俺がひとりで、そう思っていた?
 浮かんできた思いに、怒る気も失せてしまう。
 孫策の言葉の続きを待っている周瑜に、孫策は思っていたのとは違うことを言った。
「母上が、いつか公瑾呼んでこいって言ってる。自慢の手料理を食べさせたいんだって」
「それは光栄です」
 差し障りのない、模範的な物腰で周瑜は言う。
 文句を言うのはやめたものの、孫策は意味もなく腹をたてはじめていた。
「仲謀も尚香も楽しみにしてるから、遊びに来いな」
「ええ、そちらさえよろしければ、いつか寄らせてください」
 応える周瑜はやはり、本心なのかどうか分からないほどの礼儀正しさだった。そんな対応をされた孫策は、余所余所しさを感じている。
 昔からこうだったっけと思い出してみるが、周瑜が孫策にこんな態度をとるのは、喧嘩したときくらいのものだった。あとは――出会ったばかりの頃だっただろうか。
 そんなに昔のことかと思ってみて、それじゃあ別人と話してるみたいな気分になって当然だと、納得した。それとも何か怒っているのだろうか? ……心当たりはないけど。
 なんだか、疲れてしまった。
 再会してから、そろそろ十日というところ。毎日毎日、どんなに懸命に話しかけても、この調子なのだから。
 ――疲れてしまった。
「お前、昔から俺にそんな莫迦丁寧な言葉使ってたか?」
 どんなに懸命に空白の時間を埋めようと孫策が努力してみても、それに応えようとしない周瑜に対して、むしろ皮肉の意味を込めて言う。
「それは、どの昔からのことですか?」
 喧嘩しているわけでもないのに、周瑜も皮肉を込めて返してくる。意地になっていた。
 昔とはいつからのことを含むのかという言葉。子どもの頃のことか、別れた後のことか、再会してからのことか――主に彼は、再会した時を一番の昔として言っている。
 何にせよ、口で周瑜と戦うには、孫策はあまりにも不利だった。
「そうか」
 むすっとして言うと、彼はおもむろに足を速め始めた。当然周瑜はその場に取り残されてしまう。
「俺は用事があるから先に帰る。俺と鉢合わせたくなかったら、ゆっくり帰ってきていいぞ。なんなら、今日一日このままさぼっても構わない。俺が許す」  傍若無人に言い置くと、彼は駆け出していた。
 周瑜はいつの間にか足を止めていた。気がつけば彼をひとり残してさっさと行ってしまう孫策の後ろ姿を素直に見送っている。半(なか)ば呆然として。
 なす術もなく、そのまま孫策の後ろ姿が見えなくなるまでそこに立ちつくしていた。そうして彼の快活な姿の片鱗も見えなくなってしばらくしてから、ようやくというように息をはく。
 この状況、まるで今の自分の立場そのものだ。
「結局、おいて行くんだね」
 落とされた言葉は、相手の耳に届けられることもないまま、風に消されてしまう。
 ――ひとりで、出歩いたりして。
 その思いは、当然孫策に向けられたもの。周瑜を探してひとりでうろついていたらしい孫策を、心配しているものだ。嘘偽りのない心。
 けれどそれも、相手に届くことはなかった。


戻頁。 続。




























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